武蔵からこの地へ移った大田原氏の資清のとき、天文14年(1545年)、本格的に築城された。高台の別名をとって龍体城。資清の孫晴清が小田原攻めに功あって近世大名としての地歩を固め、明治まで続いた。戊辰戦争には政府軍の会津攻略の拠点となった。現在は、土塁が残るだけで公園になっている。
栃木県大田原市城山2丁目
(1)西那須野駅からバスで
時代:1543
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