1610(慶長15)年足尾郷の農民が銅鉱を発見して当時の領主日光座禅院の座主に報告、翌年から徳川幕府の直轄で発掘が進められた。幕府造営の建築に使用した多量の銅材や銅銭を鋳造、一時はオランダへ輸出するほど豊富に銅を産出した。1877(明治10)年銅山は古河市兵衛の経営となり、1888(明治21)年には全国産銅の40.5%を占めるようになった。しかしこのころから足尾銅山鉱毒事件が起こり、また足尾銅山争議など、数々の社会問題でも全国的に知られるようになった。戦後、産銅量は次第に減少、昭和30年小滝坑の廃坑、昭和48年には通洞・本山坑が廃坑となって銅山は閉山した。昭和55年4月、足尾銅山観光が開設され、坑内電車で全長700mの坑道内が見学できるようになった。途中、39体の人形を使って、往時の銅鉱採掘の模様を再現しているのが見られるほか、公園には、江戸時代から昭和に至る作業内容や各種資料を展示した足尾銅山記念資料室がある。
栃木県日光市通洞9-2
(1)通洞駅から徒歩で
-
-