天正4年(1576)大関高増の築城。高増は、大関増次が大田原資清に滅ぼされたあと、大田原家から送りこまれた人物で、奇略縦横の活躍によって基盤を築いた。以来、近世外様小藩の大名としても無事に乗り切って明治維新を迎えている。黒羽城は大関氏一氏十九代がつづいた。◎大関増業(1782-1845)江戸生れ。黒羽藩主。財政確立のため養子に迎えられ、殖産興業に尽す。藩校を設け文武を奨めるが、改革半ばで隠退。◎大関増裕(1837-67)黒羽藩主。蘭学に通じ、兵制改革・新田開発に努め学問を奨励した。幕府でも重用され、陸・海軍奉行、若年寄を歴任した。
栃木県大田原市前田
(1)西那須野駅から市営バスで
時代:1575
備考:無料
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