天保7年(1836)徳川斉昭が戦国期の介川将監通定の居城跡に、海岸警備の充実を図って築城した。国家老山野辺義観が城代として入って海防総司となり、以後、山野辺義正、同義芸と居城として海防の任に当たったが、天狗党の乱(1864)のときに落城した。
茨城県日立市助川町5丁目10番4号
(1)日立駅からバスで
時代:1836
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