奈良時代の日本では、諸外国からの侵略を防ぐため、東国から多くの若者が防人として徴収され、筑紫国(現在の北九州地方)へと派遣されました。『万葉集』には、そんな若者たちが自らの心の内を詠んだ歌が多数収録されており、常陸国出身の防人の歌も10首確認されています。上河合町にある幸久橋のすぐ側に建っている、防人の碑はその内の一つで、久慈郡出身の防人である丸子部佐壮が詠んだ「久慈川は幸くあり待て潮舟にま梶しじ貫き我は帰り来む」との歌が刻まれています。「久慈川よ、清い流れのままで変わらず待っていてくれ、私は潮舟に梶をいっぱい通し、急いで帰ってこよう」という意味を持つこの歌からは、無事に故郷に戻れる保証のない防人として、はるか西の地へと赴かなくてはならない若者の切ない心境が伝わってきます。
茨城県常陸太田市上河合町
(1)河合駅から徒歩で
(2)那珂ICから車で
(3)日立南太田ICから車で
備考:無料
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