大観宅のさらに北側、蛇頭と呼ばれる中磯を見下ろす断崖の上にあった。大観らは毎日この研究所に通い、35畳敷の正員室で創作に取り組んだ。現在は、天心遺跡記念公園として整備されている。天心は、1913(大正2)年新潟県赤倉の山荘で世を去った。東京染井墓地に埋葬されたが、遺志により五浦に分骨された。質素な土饅頭の天心の墓が残っている。日本美術院は、天心死去の翌年、東京の谷中にもどり再建されるが、天心に代って大観が日本美術院の指導者として日本画の発展に尽した。代表作に「無我」「生々流転」(1923年、国重文)がある。
茨城県北茨城市大津町五浦
(1)大津港駅からバスで
時代:1906
備考:無料
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