大宝八幡宮

茨城県下妻市大宝667
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基本情報

【由緒と史跡】-関東最古の八幡宮-大宝元年(701)、藤原時忠公が筑紫の宇佐神宮に勧請創建したのがはじまりである。天台宗の古い経文の奥書に「治承3年(1179)己亥7月22日の未時書了於常陸州下津間八幡宮書了兼智」とあるから、平安末期にはすでに八幡信仰が盛行していたことがわかる。平将門公も戦勝祈願の為たびたび参拝し、当宮の巫女によって新皇の位を授けられたと伝えられる。「吾妻鏡」に下妻宮としるされ、文治5年(1189)、奥州征伐平定の日源頼朝公が鎌倉の鶴岡八幡宮若宮を勧請し摂社若宮八幡宮を創建した。寛政7年(1795)には光格天皇より額字及び御紋付幕を賜り、明治19年には北白川宮より幣帛料が進納せられ、徳川家からは社領115石が寄進され代々の朱印が付されて現存すると共に、代々の大宝城主、下妻城主の崇敬がことのほか篤かったのは言うをまたない。千古の連錦とした歴史の中で当宮から勧請された八幡宮は数えきれないが、東京深川の富岡八幡宮が著名である。-御本殿(国指定重要文化財)-三間社流造。天正5年(1577)に下妻城主多賀谷尊経公が再建したことが、本殿回廊の高欄擬宝珠によって知られる。建ち上がりも高く、柱も太くてどっしりとした重みを見せているが、これに比べて組物はは小柄で複雑に組合わされ、桃山時代の地方色が濃くあらわれて派手な装飾は見られず落ち着いたたたずまいを見せている。-史跡大宝城跡(国指定文化財)-境内は平安時代から南北朝にかけてあった城跡でもあり、西、北および東方の一部をもとの鳥羽の淡海(大宝沼)に囲まれた東西288メートル、南北576メートルの台地であり、東方も古い時代には沼か湿地であったと思われるから三方断崖に面した要害の地であった。ここに平清朝公が築城し、北を本丸、南を追手、東を搦手とした。応徳3年(1086)下津間盛幹公が初代城主となり、約百年後四代下津間弘幹公にして下津間氏は終わりを告げた。源頼朝公の命により大宝城のあとは小山頼政公が治め、小山氏は代々下妻氏を名乗った。六代政泰公の代に至り南北朝時代となり、興国2、(暦応4)年(1341)11月、常陸国司春日中将顕時公が若き興良親王を奉じて小田城より入城し、東国における南朝方の拠点として、関城主宗祐、宗政父子と相呼応して義旗を翻したが兵糧不足と迫る寒気のため落城した。御社殿裏に政泰公の碑が往時をしのんで建って

住所

茨城県下妻市大宝667

アクセス

(1)大宝駅から徒歩で

その他

創建年代:701


詳細情報

  • 予算

    -

  • 駐車場

    無料:普通車約150台(隣接する大宝保育園の駐車場)


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