暦応4年(1341)11月、南朝の功臣北畠親房を迎え入れた城主関宗祐。宗政父子は、わずか300名の劣勢で、北朝方の高師冬率いる大軍と2年間にわたる攻防の末、ついに関父子は刀折れ矢つきて自刃した。親房は命からがら脱出し、吉野へ逃れた。土塁や空堀が残り、坑道跡も見ることができる。
茨城県筑西市関舘字内館一帯
(1)騰波江駅から徒歩で
時代:南北朝
観覧者数(年間):約200人
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