雨情は明治15年(1882年)磯原町の野口量平の長男として生まれ、本名を英吉といった。磯原尋常小学校(現在の精華小学校)を卒業すると、政治家の叔父野口勝一氏のもとから東京専門学校(現在の早稲田大学)に学んだ。明治37年頃、作詩生活に入り、最初の詩集「枯草」を出版した。大正10年頃になると、北原白秋、西条八十とならんで三大童謡詩人とうたわれ、昭和20年、64歳でなくなるまで、全国各地を旅し、多くの民謡集や童謡集をつくり、現在でもたくさんの人々に親しまれている。雨情の生家は廻船問屋で、明治15年当時、観栄丸と観音丸の運搬船を所有していた。昭和42年3月30日、茨城県の文化財に指定された。
茨城県北茨城市磯原町磯原103
(1)磯原駅から徒歩で
その他:その他:100円
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