この地に生まれた並木栗水本名左門(1829〜1914)は、江戸の大橋訥庵の「思誠塾」で学び、やがて塾頭になった。晩年の慶応2年(1866)故郷の此処に「螟蛉塾」を開き多くの門弟を薫育した。ここに建つ碑の題字は徳富蘇峰、碑文は内田周平、書は門弟で町内高津原出身の貴族院議員菅澤重雄氏の書いたものである。
千葉県香取郡多古町御所台171
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