山刀伐峠は、最上町と尾花沢市を結ぶ峠のひとつ。標高は470メートルにすぎないが、北の最上町側は急峻で、南の尾花沢市側は比較的なだらかな地形をなしている。この形状が昔、山仕事あるいは狩の際にかぶった「ナタギリ」という冠物の形に似ていることから、峠名が発生したと言われている。山刀伐峠は、中世からの南部地方(現在岩手県と青森県の一部)と最上(現村山、山形方面)を結ぶ要路であったと伝えられている。天政8年(1580)には、山形城主、最上義光の軍勢がこの峠を越えて、時の小国(最上町)領主、細川氏を攻め入ったと言う。江戸後期頃には、峠のふもと一刎に新庄藩が口止め番人を置いていたが、そう交通の頻繁な峠ではなかったであろう。元禄2年(1689)5月17日、門弟の曾良を伴った芭蕉は、屈強の若者に案内され、この峠を越えて尾花沢市へ向かった。芭蕉はその時の印象を「おくのほそ道」に、「高山森々として一鳥声きかず……」というくだりの見事な文章を表現している。昭和60〜61年度に、芭蕉が超えた峠路は、歴史の道として保存整備されて、格好の散策路となっている。
山形県最上郡最上町大字満沢字一刎
(1)赤倉温泉駅から車で
規模:延長4.6km
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