全日本の観光地へ
佐竹寺は、鎌倉時代から江戸時代にかけて常陸国を支配した佐竹氏代々の祈願所。大同2(807)年の開山、あるいは、寛和元(985)年に花山天皇の勅願を受けて元密上人が創建したとも言われています。創建当初は、鶴ヶ池の北に位置する観音山にありましたが、天文12(1543)年に兵火によって焼失、同15(1546)年に佐竹義昭によって再建されました。一時は隆盛を極めたものの、佐竹氏の秋田移封にともない、その寺運はしだいに衰えていきました。本尊の十一面観音像は、安産や厄除けなどに御利益のあるとされる仏様で、坂東三十三観音二十二番霊所にもあたることから、巡拝者が絶えない古刹としても広く知られています。重厚感あふれる佇まいの本堂は茅葺き寄棟造りで、正面中央には唐破風が設けられています。正面の火頭窓や柱、組物など、あらゆる箇所に桃山時代の建築物の先駆とも言える遺構が残された、常陸太田市の誇る貴重な文化財の一つです。
馬坂城は、平安時代末に、新羅三郎義光(源義家の弟)の孫で、佐竹氏の祖とされる昌義が築いた城郭です。約6032平方mの敷地に3つの曲輪を設けた平山城で、北を鶴が池、西南を山田川まで広がる湿地帯に囲まれた、まさに自然の要塞と言えます。佐竹氏が三代隆義の時代に太田城(舞鶴城)に移った後は、四代秀義の子、義清が稲木氏を名乗って移り住むなど、佐竹氏一族の居住となっていましたが、慶長7(1602)年、佐竹氏の秋田移封に伴い廃城となりました。また、城内には、縄文時代前期(約8000年前)に営まれたと見られる間坂貝塚があります。
常陸太田市の南西端、島町の丘陵上にあるのが梵天山古墳群。主墳の梵天山古墳を中心に、13基の高塚墳と「百穴」と呼ばれる横穴群で構成されています。梵天山古墳は、かつて久慈川流域を支配していた久自国造舟瀬足尼の墳墓と伝えられている前方後円墳で、その全長は160m、石岡市北根本にある舟塚山古墳に次いで、茨城県内で2番目の大きさを誇ります。後円部に対して前方部が著しく未発達であることから、築造時期は古墳時代前期と推定されます。
県立太田第一高等学校の講堂は、明治37年に旧太田中学校のとして建築されたものです。講堂は、桁行き20.9m、梁間14.5m、正面に車寄せを設けた瓦葺き屋根の洋風建築で、旧県立商業学校本館や旧土浦中学校本館なども手掛けた、茨城県の技師・駒杵勤治によって設計され、ゴシック、ロココ様式を基調とし、当時流行していたスティックスタイル(木骨様式)を取り入れてあり、内部には、校章の掘られた演台やエンタシス柱、コリント風の柱頭飾りなどが施されています。この様式の建築物が当時のまま現存しているのは稀少で、当時の建築技術の高さや面影を今に伝える重要な建築物として、昭和51年に国の重要文化財に指定されました。なお、毎年秋には、太田一高が所蔵する書画など、貴著な資料とともに一般公開が行われています。
西山荘の入口にある。
営業時間:日土10:00〜16:00
田舎の素朴さを大事にした店づくりをしています。地元の農家のみなさんが朝採りした野菜や特別栽培米・めぐみちゃんなどを販売しています。あまり目立ちませんが、手書きの看板が目印の緑色の小屋です。ぜひお立ち寄りください。
営業時間:8:30〜18:00 定休日:水
約90名の生産者が地元のとれたて野菜を卸しています。おいしい旬の野菜がお手ごろ価格でお求めいただけます!ぜひお立ち寄りください。
営業時間:8:30〜17:00 休園日:月休日の場合は翌火曜日 休園日:年末年始
四季おりおりの自然とふれあい、さつまいも・じゃがいも掘りなどの農業体験のほか、そば・うどん打ち、竹細工等の各種体験ができます。毎年、10月末〜3月末まで隣の菅生沼に白鳥が飛来します。白鳥観察ポイントととしては、あすなろ橋とふれあい橋(夕方頃)
「真景累ヶ淵」の累の墓。「累」の怪談物語は、江戸時代の戯作者・鶴屋南北のとりあげるところとなり、現在も歌舞伎、清元に語り継がれている。当寺には、累の木像をはじめ、祐天上人が解脱供養に用いた数珠等が保存されている。
健康な市民生活を支える自然豊かな公園です。きぬ温水プール、水海道総合体育館、きぬテニスコートや水海道球場、きぬサブグランドなどがあり、1年中スポーツが楽しめます。また、運動公園で湿生園や水車も見られ、さらに冬には白鳥が飛来します。