全日本の観光地へ
地上100mにある展望台からは名古屋市街はもちろんのこと、三河湾や知多半島、木曽御嶽山や中央アルプスまで見渡せる。平成20年10月には「恋人の聖地」に認定された。
城内2か所の梅林を中心に100本ほど。白梅の「長束」から咲き始め、紅と白の花を同じ樹に咲かせる「思いのまま」などがあります。
主に、ソメイヨシノ中心だが、ヤマザクラ、シダレザクラなどを含めて、計1,000本もの桜が植えられている。春まつりの期間中には、夜8時まで照明が灯されて、夜桜見物ができる。桜のあとには、ボタン、シャクヤクなども楽しめる。
元禄13年(1700)の大火をきっかけに防火を目的に整備された。尾張藩の経済を支える大動派・堀川沿いの問屋筋の裏を拡張し、道幅を四間(約7メートル)とした。東側は盛土を一段と高くし、その上に土蔵を築かせた。一部のところは、塗り込め構造の土蔵や旧家など今もおもかげを残している。四間道整備の目的は、防火のほかにむしろ東側の大船町の町人地と西側の町続地との境界線、次第に活発化する堀川沿いの商業活動に対処するための交通需要対策とも考えられる。四間道独特の景観は、天文年間(1740年頃)には生み出された。
岩倉街道沿道にあった中小田井は、岩倉方面から枇杷島の青果市場へ野菜類を運ぶ農民たちのために、飲食店や生活用品を扱う商家が建ち並んだ。宿場町とは異なり、ローカルな、土くさい、こじんまりとした町並みだった。現在の建物は、主に明治24年(1891)の濃尾地震以降のものだが、平入・中二階・連子格子の民家や土蔵を中心とした町並みは、伝統的景観をよく残している。
クリムト、ピカソ、ロダンをはじめとする近現代美術約2,700点。藤井達吉氏寄贈の工芸・絵画他約1,500点。木村定三氏寄贈美術品約3,200点。合計約7,400点。
もと尾張徳川家の大曽根下屋敷。池泉回遊式の大名庭園で、隣接する徳川美術館、蓬左文庫と合わせて近世武家文化が体感できる。
徳川光友が建立した尾州家代々の菩提寺。境内には歴代藩主の墓がある。
本格的オペラの上演が可能な愛知県芸術劇場大ホールをはじめ、県立美術館や愛知県文化情報センターと平成3年4月名城地区にオープンした愛知県図書館の四つの部門で構成されています。
明治以降に広大な敷地を有する閑静な高級住宅地に変わり、現在は残念ながら武家屋敷としての遺構は残っていない。しかし白壁や黒塗りの塀、塀越しに樹木の連なる屋敷景観、また碁盤目状の地割りなどは、江戸時代の面影をよくとどめている。道の両側に建ち並ぶ塀と塀越しにおおいかぶさってくる木立の緑が美しい町並みを作っており、名古屋市の歴史的町並み保存地区に指定されている。