萩焼古窯跡群
山口県萩市椿東
江戸時代初期、萩藩主である毛利家は、文禄・慶長の役(1592〜98)で連れ帰った朝鮮人陶工に命じて松本村中の倉(現萩市椿東)に御用窯を開きました。御用窯はそののち大津郡深川村三ノ瀬(そうのせ・現長門市湯本)にも分かれたため、それぞれの窯品を「松本焼」「深川焼」と呼んだが、明治以後この二つを総称して萩焼と呼びました。萩焼古窯跡群は、萩市椿東での発掘調査により発見されました。個々の窯の構造は、朝鮮李朝(1392年から1910年までの朝鮮最後の王朝)の典型的な登釜(のぼりがま=斜面につくって熱が効率良く行き渡るようにしたもの)の形態を示し、萩焼の源流が明確に知られると同時に、唐津をはじめ西日本各地の焼物と同じ系列のものとして、古窯の研究に貴重な資料を提供するものです。<br>