仙波東照宮
埼玉県川越市小仙波町1-21-1
元和2(1616)年駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬ったが、元和3(1617)年日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営んだ。そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10(1633)年には立派な社殿が造営された。しかし寛永15(1638)年の川越大火により類焼したため、徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手した。寛永17(1640)年に完成したものがそのまま現在の社殿として残っている。本殿は三間社流れ造りの銅瓦葺、瑞垣は延長30間の瓦葺で中央正面には平唐門がある。拝殿は単層の入母屋造り、正面の向拝は1間、幣殿は背面が入母屋造りで、前面は拝殿の屋根に接続し、どちらも銅瓦葺である。