鹿野城跡
戦国時代,たびたび激戦の舞台となったが,天正8年(1580)羽柴秀吉が第一次因幡侵攻を行なった際,毛利方が鳥取城主山名豊国の娘など味方の証として取った人質を,鹿野城に留めていることを知り,攻略して奪い取った。その結果,山名を娘の命とひきかえに降伏させるなど,大戦果をあげたのであった。城は亀井氏を経て,元和年間に廃された。現在,石垣や内濠・外濠が残っている。◎亀井茲矩(1557-1612)安土桃山時代の武将。初め尼子氏の山中鹿介に従い,のち秀吉に従う。鹿野城主として殖産興業に努めるかたわら,朱印船貿易を行う。