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鹿野城跡公園

今もなお昔の面影を残す亀井茲矩公(3万8000石)の城跡。公園整備され鯉や白鳥・かもが泳ぎいこいの場になっている。春はソメイヨシノの群生があり、城跡の内濠外濠に映え桜の名所として有名。毎年、「鹿野桜祭り」として桜の開花に合わせボンボリやライトアップで桜を演出している。

讓伝寺

曹洞宗の寺で、鹿野城主亀井茲矩の尊崇が厚かった。亀井茲矩の実父である湯永綱の供養墓がある。

幸盛寺

本派浄土宗に属し京都知恩院の末寺、本尊は阿弥陀仏。境内に山中鹿介・日野五郎之房の墓がある。鹿野城主・亀井茲矩が義理の父にあたる山中鹿介幸盛の菩提を弔うために建立した寺で、中国地方の名家尼子の再興にその一生を掛けた幸盛の名を寺名としている。山中鹿介の墓は、境内の大イチョウの下にあります。

三光院

本尊の木造薬師如来像は県の保護文化財。川渕(現在の上町北側)から不思議な光があるので鹿野城主亀井茲矩により探させたところ、渕の底から薬師如来、観音菩薩、勢至菩薩の三体の仏像が見つかり寺を建て祀った伝説が院名の所以。

鷲峰神社

三代実録に載る古刹。「獅子」のない祭礼として有名。狛犬は珍しい張子型に彫刻されている。

茂宇気神社

祭神は天照大神であるが、今では「もうけ」という名称から商売繁盛の神様として全国からの参拝者が多く、秋には祭りが行われる。長い石段を登るとシイノキ等の巨木に囲まれた社殿が現れる。

加知弥神社

中世以降、武将達から厚く尊崇をうけた。延喜式神名帳に載る古社で、昔は勝宿大明神と呼ばれていた。かちみの名から「乱世を勝ちぬく」と言われ、古来より武将の崇敬が厚く、現在もここ一番の勝負時に参拝する信者がいます。

城山神社

須左之男命を祭神とし加知弥神社の摂社で、御幸行列は400年の伝統をもつ。社殿の規模は小さいが、その構造や三方の柱に彫られた彫刻は近郷に例を見ないほど精巧なもので、貴重な存在。城山神社祭礼は隔年4月中旬に行われ、県の無形民俗文化財。

鹿野城跡

戦国時代,たびたび激戦の舞台となったが,天正8年(1580)羽柴秀吉が第一次因幡侵攻を行なった際,毛利方が鳥取城主山名豊国の娘など味方の証として取った人質を,鹿野城に留めていることを知り,攻略して奪い取った。その結果,山名を娘の命とひきかえに降伏させるなど,大戦果をあげたのであった。城は亀井氏を経て,元和年間に廃された。現在,石垣や内濠・外濠が残っている。◎亀井茲矩(1557-1612)安土桃山時代の武将。初め尼子氏の山中鹿介に従い,のち秀吉に従う。鹿野城主として殖産興業に努めるかたわら,朱印船貿易を行う。

ゆめ本陣

鹿野に残る古い町屋が空き家になっており、その家を改装し、伝統工芸品や民芸品を伝え、作る場として活用している。

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