全日本の観光地へ
春の桜・ツツジの名所として有名な公園です。とくに4月中旬から下旬に開花するミツバツツジは、山全体をピンク色に染め、近隣にその類を見ない素晴らしさです。また、谷川の涼、秋の紅葉と四季を通じて楽しめます。公園内にある滝山神社の境内には龍王滝と呼ばれる滝があり、小泉八雲が小説「骨董」の中で幽霊滝として紹介しています。
日野川の河川敷にあるカワコふれあい公園(黒坂)は、住民の憩いの場、グラウンドゴルフなどスポーツ交流の場として親しまれています。スポーツ広場周辺は、毎年、地域住民が総出で草刈り作業に汗を流し、美しい芝生が青々と広がる公園になっています。
全国で1ヶ所だけの縁起のよい名前の神社。
長谷部信連公により再建されたと伝えられる曹洞宗のお寺です。平安時代の作といわれる本尊薬師如来・脇侍日光・月光菩薩・毘沙門天・不動明王の5体の仏像は、全国でも傑作といわれる国の重要文化財です。左右には小さい像の十二神将があり当時の仏教文化を忍ばせています。※要予約
幕末、鳥取藩の勤皇派因幡二十士が幽閉されたことで知られ、現在も二十士の遺品・書画、詩文などが数多く保存されています。※要予約
治承年間、高倉宮以仁王を奉じて戦った中央の武将・長谷部信連公の記念碑。この地に流され、逆境を乗り越えて延暦寺、祇園神社を建立したほか、長楽寺も再建。京都の文化を広めたと伝えられています。後に能登国(石川県)の地頭、穴水城主となりました。
関ヶ原の功により1610年、関一政が日野・会見・汗入のうちの五万石で当地に転封となり、防御上の面から総構えの城を築城。同時に、葦などの茂るこの地に城下町を造りました。その後池田領となり、一国一条令により城は廃され陣屋となり、1869年より群政所に転用されました。現在も、城址の石垣や井戸などが残されています。
後醍醐天皇船上遷幸に300余騎を率いて守護した忠臣
不動ヶ嶽は、戦国時代にたびたび激戦が繰り返された古戦場です。大永4年に尼子経久が伯耆進攻の折り攻め落とし、その後毛利方が尼子の本拠地富田城攻略のため、この地に武将香川光景を進駐させました。その時尼子の将福山ビ肥後守は、頽勢を挽回しようと出撃しましたが、ついに敗北するに至りました。この決戦については陰徳太平記が述べています。如来堂があった土居の内付近には、不動ヶ嶽の戦没者の墓か、多くの五輪塔や宝筐印塔が散在しています。
季節になると公園一帯にソメイヨシノが咲き,ボンボリを灯して夜桜も楽しめます。公園からは根雨の町並が一望でき、散策コースとしても親しまれています。