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大村藩お船蔵跡

お船蔵は、元禄年間に大村藩4代藩主大村純長の代に玖島城に付属する船蔵として構築されたもので、藩主専用船など藩の船を格納していました。3本の船渠を成す石垣が江戸時代から当時のまま残っており、柱穴が残っていることから、当時は屋根があったと思われます。

本経寺大村家墓碑群

大村藩歴代藩主墓碑群。高さ6mぐらいの巨大な墓碑や五輪塔などがならぶ。

旧楠本正隆屋敷

営業:9:00〜17:00通年 定休日:月月曜日(祝日の場合その翌日)・12月29日〜1月3日

楠本正隆は、天保9年(1838年)城下の岩船に生まれ、藩主大村純熈の側近として仕え、幕末の倒幕運動においても、大村藩三十七士の中心人物の一人として活躍しました。また明治時代の日本の建国の志としても活躍しています。この屋敷は、正隆によって明治3年に建てられたもので、近世武家屋敷の形態を残し、ほぼ完全な形で残っていたものです。このような屋敷は県内でも少なく、貴重な文化財ともいえます。現在では、屋敷と庭園が修復され、一般に公開されています。

五教館御成門(黒門)

大村藩の藩校は初め、集義館と呼び、後に静寿園と改められ、さらに1790年9代藩主純鎮がその規模を大きくし「五教館」と名付けました。五教とは、五つの道の教えで、「君臣義あり、父子親あり、夫婦別あり、長幼序あり、朋友信あり」を示したものです。画期的だったのは、この学校に武士だけではなく百姓、町人にも入学を許可したことです。その教えは、幕末の明治維新前後に様々な分野で活躍した優秀な人材を数多く輩出し、大村だけでなく日本の発展へと貢献しました。日本近代医学の祖・長与専斎、衆議院議長の楠本正隆、世界的物理学者の長岡半太郎、女性教育と知的障害者福祉の先駆者・石井筆子らはこの学び舎を巣立った有名な偉人です。

日岳公園

山の頂上付近に設けられている公園。360度の眺望が楽しめる他、長崎空港に発着する飛行機が間近に見える人気のポイントです。その眺めは大村湾を挟み諫早・雲仙までを望むことが出来ます。日の出スポット、夜景スポットとしても知られていますが、なかでも大村湾を囲む山々へと沈んでいく夕陽は絶景です。

鉢巻山展望所

夕日スポットとしても知られている鉢巻山展望所[標高334m]。海から山へとその眺めは圧巻です。9月中旬〜下旬、山頂付近には赤・白・クリーム色のひがん花約100万本が咲き誇り、「鉢巻山ひがん花まつり」が開催され、毎年たくさんの人で賑わいます。

草場小路武家屋敷通り

地名をとって、草場小路と名付けられました。草場小路には変わった色の石をちりばめた塀、『五色塀』を見ることができます。大村地方の特徴的な塀です。色とりどりの海石の石積みを漆喰で塗り固めた塀ですが、他藩の人々の目には大変珍しく映ったと見え、来訪した文人達の日記などにも何度も登場します。現在、市内に何ヶ所か残っていますが、草場小路の五色塀が、塀の延長も長く、石の様々な色・形から最も見応えのあるものではないでしょうか。

小姓小路武家屋敷通り

小姓小路は、最初藩主の側近く仕えた小姓が住んでいました。牢屋坂の橋から、原氏宅を経て、踏切を渡った突き当たりまで5町43間2尺9寸(約623m)です。長井兵庫や村田鉄斎など14戸の屋敷があり、現在も古い屋敷が残っていて、武家屋敷の面影がしのばれます。

明珍作うこん威甲胄一領

甲胄工芸史上の名作として有名で,諌早家始祖龍造寺家晴公が,豊臣秀吉の朝鮮出兵の際着用した。

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