全日本の観光地へ
志士雲井龍雄、斎藤篤信の墓がある。。「雲井会」により命日に合わせ墓前で雲井祭が催され、その遺徳が偲ばれている。
甲子大黒天が鎮座し、福禄寿の霊場として有名。例祭は11月19日に行われる。山伏による特別祈祷が奉修され、古来より伝わる神斧や宝剣、法弓、そして「天地四方一切清浄之秘法」により、家族皆が大黒さまのような笑顔で毎日を過ごせるようにと祈ります。このほか、福くじで「七福神色紙」などが当たる開運招福加持や、祈祷申し込み者には有名な餅の献膳もあり、県内外から多くの参詣者が訪れます。写経もやっています。
本宮は愛宕山頂にあり、8月1日には市民登山、みこしのお山登り(愛宕の火祭り)がある。愛宕神社は米沢市遠山の愛宕山(海抜559メートル)頂上に鎮座し、火の神である軻遇突智命(かぐつちのみこと=迦倶槌神)を祀っています。総本社は京都市右京区嵯峨愛宕町の愛宕神社で、火伏せの神として広く信仰されています。とくに7月31日夜からの「千日詣」は有名で、この日に参詣すれば千日の参詣と同じご利益があると言われ、多くの信者が集まります。
関東管領上杉憲政の墓がある。寺内に幼稚園が隣接している。
上杉家が慶長年間米沢に移築したもの。境内にあるトラノオモミは県指定天然記念物。
藁科松伯の墓がある。松柏氏は上杉鷹山公の侍医で博学強記の儒者であった。政治的にも見識の高い方で上杉家お家騒動の折りに竹俣当綱を助けて奸臣森平右衛門を倒し上杉家の建て直しに尽力した。さらに細井平州氏を鷹山公の賓師として推薦した方でもあった。明和6年8月、33歳で逝去。当山本堂に藁科家3代の御木像が安置されている。
源義経の家臣であった佐藤継信・忠信の母(梅唇尼)のものと伝えられる即身仏がある(非公開)。常信庵は源義経の家臣佐藤正信の親子が祀れている寺院です。義経が平泉下向の際も佐藤兄弟を弔う為、ここまで足を延ばしたという伝説も残っています。境内には即身仏(佐藤兄弟の母である梅唇尼と伝わる。)が発掘され、その上に万年塔が建立されています。
1476年僧覚永により信州水内郡泉郷に創建。のち米沢に移転。1619〜1628ごろ建立されたものか。寺内に五百羅漢像がある。現在の羅漢堂は昭和7年に再建されたもの。
社宝に平安時代の鬼瓦1対、上杉鷹山誓詞2通などがある。県内最古の鬼瓦で市文化財に指定されている。
慶長6年に会津百二十万石から米沢三十万石へ移封された上杉家の下級武士達が造った町。この武士達は原方衆(はらがたしゅう)と呼ばれ主は野を耕し、女達は機を織って生計をたてながら、なお馬を飼い武芸に励んだ。屋敷の裏手は広い畑と果樹、前庭にはウコギの生垣がある典型的な原方衆の屋敷が今も残る。※一般住宅につき公開観光施設ではありません