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豊臣秀吉の水ぜめで知られる備中吉備郡高松城の城主清水宗治の菩提寺で、「清水宗治主従の供養塔」があります。古くは吉祥寺と称していたが、分禄3年(1594年)清鏡寺と改めました。
普賢寺に安置してある普賢菩薩は延命の仏,海の守護仏として信仰を集めている。仁王門,玉垣,16羅漢像,転法輪,子安観世音菩薩,雪舟庭が見所。また国宝級の宝物も所蔵。
長州藩、海路通行の幕府役人など貴賓の接待所に使った寺で、幕末の1865年、この寺を本拠にして周防部の諸隊が決起し、振武隊となり、後に第二奇兵隊と改称しました。
江戸時代末、四国艦隊の報復攻撃に備え沿岸に砲台場を築いたもの。当時の長州藩は男手が不足し、後に残った婦女子が中心になってこれを築きました。このことから、通称「女台場」といわれています。市指定史跡となっています。
民俗資料、科学資料、美術品などを展示しています。
室積は、美しく、波穏やかな御手洗湾に面し、古代から瀬戸内海航路の重要な港町として、また、海の守護仏「普賢菩薩」を祀る普賢寺の門前町としても栄えました。江戸時代に長州藩による港の再開発で室積会所が置かれ、北前船の寄港地として、当時は多くの廻船問屋が軒を連ねました。熊谷家など江戸時代から明治にかけての豪商の町屋が、海商通りの通称で呼ばれた通りのところどころに残っています。
峨嵋山(標高117m)は、本土と砂浜でつながった陸繋島(りくけいとう)です。現在は完全に陸地になり、瀬戸内海につきだした半島となっています。峨嵋山の樹林は、暖かい地域に生育し冬に落葉しないアカマツやコジイの常緑樹林で、瀬戸内海西部沿岸の代表的な樹林です。現在は、多くのアカマツが枯れて、コジイ、ウラジロガシ、アラカシ、ヤマモモなどが増えています。