旧野々村家表門及び練塀
野々村家は、代々毛利家に仕え、天保15年(1844)の「御家中分限帳」によると、禄高130万石の御馬廻格の家柄でした。この門の形式は、主柱に扁平な角柱、背後に角の控柱を建てた薬医門で屋根は桟瓦葺、扉は両開き式ではなく、半分が下見壁で引込戸になっていますが、これは天保14年(1843)の「御家中家作之定」に従った建て方といえます。また、長府に残されている薬医門や棟門の中では規格も大きく、上級藩士の屋敷としての趣が見られます。昭和63年(1988)11月、南の浜町より現在地に移設保存されました。