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深山神社境内には、榧の大樹があり、藤のつるが多く茂っている。満開の時期には、藤の荏が滝の様に咲く。
源義経が平泉に向かう途中腰を掛けたという伝説が残っている。現在の松は2代目である。
山頂からは信達平野が一望でき眺めがよい。
上杉謙信の供養のために建立されたと伝えられている福源寺には、寛延2年(1749)、信達68ケ村、16,800人を糾合する一大百姓一揆となった「天狗廻状運動」の指導者斎藤彦内が葬られている。この一揆で彦内の他、蓬田半左衛門、猪狩源七も処刑された。
西念上人の碑と樹齢300年の大ケヤキがある。
伊達家の始祖中村常陸介朝宗入道念西の墓。
江戸時代の桑折陣屋役人であり、万葉歌人安藤野鴈の「国を去る歌」が刻まれている。
観音寺観音堂安置。県指定の重要文化財、丈六(高さ2.7m)の坐像で14世紀頃の作。
伊達氏の入部時の築城とも、8代目の政宗が籠城した赤館がそれであるとも伝わる中世の山城です。天文元年(1532年)頃に伊達稙宗が梁川からここに本拠を移し、同17年に子息の晴宗が米沢へ移るまで、陸奥国守護伊達氏の居城となりました。現在も石塁、空堀、枡形状虎口など、戦国時代の遺構を数多く残しており、平成2年(1990年)に国の史跡に指定されました。
西山城内にあった門を伊達晴宗が米沢に移る際に移築したと伝わる