全日本の観光地へ
中世石母田氏の居館で、複郭式の平城館。この地方における典型的な中世の城館一部濠跡も良好に残っている。
円墳で、横穴式石室が死者を葬る施設として設けられている。石室は、側面が弧を描くようにカーブする特徴的な形態(胴張形)である。
日本三大銀山の一つといわれた半田銀山の坑口跡。現存する坑口は少なく良好に保存されている。
当時の泉秀寺本堂を泉田小学校の仮校舎として使用していた。当町の学校教育発祥の地である
塚野目古墳群において最大規模の古墳。全長70メートルの前方後円墳で埴輪が出土している。
文冶5年(1189年)の奥州合戦における最大の激戦場。奥州藤原氏により阿津賀志山の中腹から阿武隈川岸まで全長3.2kmに渡って土塁と堀が築かれた要塞施設。
中世から近代まで国見から宮城県七ヶ宿を通り米沢を結ぶ幹線道として長く使われた古道。特に江戸時代は、羽州街道の一部として大名や民衆の多くか、この峠を越えて行き来した場所である。
前九年の役で功のあった源頼義・義家父子の末孫義高が建したと伝わる。覆堂内に建立され、彫刻は素朴だが建築様式は貴重。
江戸時代中期の典型的な農民の住宅様式。
伊達郡高成田村の仏師長谷川雲橋、雲谷親子の作といわれている。唐様の優れた手法の作品。