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湯涌温泉は夢二が最愛の人、彦乃と過ごした地。「湯涌なる山ふところの小春日に目閉ぢ死なむときみのいふなり」と刻まれている。
西,東とともにある茶屋街。大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士,富田主計の邸地にちなんで主計町と呼ばれている。’99年10月,主計町の町名が復活した。
「つかも動け我泣声は秋の風」弟子一笑の死をいたむ句。
昭和20年8月7日、愛知県豊川市の豊川海軍工廠が空襲にあい、石川県からの女子挺身隊も52名が犠牲になった。この慰霊のため建てられた。像は矩幸成の作、題字は佐藤春夫の書、水芦光子の挽歌が像の前に添えられている。
加賀友禅の祖の墓。
金沢名産「ごり」料理の店「ごりや」店主が篤二郎をしのんで建てた碑。犀星とも親交があり、萩原朔太郎らの支援で歌集を出版。異彩の歌人として名声が高まった。
真宗(一向宗)本願寺派中興の祖。同派八代法主。幼名布袋丸。1471年、越前国吉崎に道場を開き、北陸一帯に布教し門徒の勢力を拡大する。
佐久間盛政の尾山城時代の大手門に続く坂。尾崎神社と尾山神社の中間地点にある。金沢城跡に続く5つの坂のひとつで、今でもうっそうとした木々が生い茂る。坂下の白鳥路から続く道は、お堀通りといわれ、石垣に当時の堀の姿を垣間見ることができる。
「あかあかと日はつれなくも秋の風」の句。市内にはこれとあわせて同じ句の碑が三つある。
たび重なる火災についで,1631年(寛永8年)の大火により,城内の町家1,000軒,本丸までも焼いた3代藩主前田利常が,小松の板屋兵四郎に命じて寛永9年に造らせた防火用水。兼六園を経て,城内二の丸まで引かれた。当時としては珍しい逆サイホンの原理を用いている。