全日本の観光地へ
クラシックを中心としたコンサートホール、多様に利用できる多目的ホール、自由な空間創造のできる企画展示ホール、その他会議室、和室、練習室等のある総合文化施設です。また、自主企画事業として優れた芸術文化公演の鑑賞の場を提供しています。
木工・林産物加工教室や森林施業体験教室などを開催し都市住民との交流を図る。
絵画、書、工芸、典籍、古記録、文献、地図、図面、藩札、民族、考古資料などを展示しています。
明治になり、岩国藩が学制の大改革を行った際に、藩士に語学を学ばせるために建てた学校。木造2階建て、塔屋付、桟、瓦葺きで、岩国市内最古の洋風木造建築物。現在は教育資料館として活用されています。展示物としては、明治初期以降の教科書類、児童の作文・詩集・感想文、教育実践書類、郷土関係資料、民俗資料などがあります。<br>
吉川家所有の武具、甲冑、刀剣、古文書、美術品等を展示。
東大寺の墓地にある墓。1732年から翌年にかけてききんによって餓死した人の墓石が墓の側にある。東大寺にはこのときの過去帳が残っており,餓死した304人の戒名が記録されている。
吉川英治の小説「宮本武蔵」で、佐々木小次郎は錦帯橋畔で、柳の枝が燕を打つのを見て「燕返し」の術を得たと岩国に来て自ら創作した。
田中穂積は岩国千石原出身。「美しき天然」は名曲として現在でも演奏されます。昭和31年に胸像が建てられ、同43年には「美しき天然」の曲碑が建てられました。
岩国が生んだ女流作家宇野千代の生家。明治期の建物で、1974年に宇野千代自身により修復された生家。平成14年5月から一般に開放され、見学できるようになっています。千代に関する様々なものを展示しています。
吉川家代々墓所。岩国に入府した岩国吉川家初代広家から、六代経永を除く十二代経幹までの当主及びその一族の墓が五十一基あります。墓所裏手の山際には「みみずくの手水鉢」があります。