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按擦使、権中納言藤原光親卿は承久3年(1221年)この地で斬首され、矢弾山(篭坂中腹)に祀られている。昭和3年、昭和天皇御即位に際し、正一位を贈られた。
篭坂路七ッ屋根の中腹、俗称、膳棚の一角に建立されている。句は「篭坂の月代遅れて谷の虫」と刻まれ、作者は原田浜人、筆は武者小路実篤。
シカゴ大学の人類学教授フレデリック・スタール博士は、東洋文化の研讃究明に努め、又、納札に興味をもち、自らも「寿多有」など10余種に余る納札を作った。博士は多年、日米親善に尽した功で大正12年瑞宝章を贈られた。
小田原,北条氏の属城のあと
小山町は、古くから金太郎誕生の地といわれ、熊と相撲をとった金時山や大鯉をつかまえたといわれる沼子の池など、数多くのゆかりの場所が残っています。金時公園には、金太郎の生家の跡に建てられた金時神社や、大きなまさかりが飾られており、毎年5月3日に行われる金太郎まつりでは奉納相撲や綱引き大会が開催され、元気な子供たちが遊ぶ声でにぎわいます。
須走登山道の本宮。杉の大木に囲まれて落ちついた雰囲気。大同2年(807)創建と伝えられる元県社。祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、武田氏文書、紺神金泥経、弘法大師といわれる鉈作経木等の社宝がある。
本尊延命地蔵菩薩坐像は県指定有形文化財になっている。
老杉の生い茂る中に古びた社殿が建つ。弘法大師開基と伝えられる。本尊は大聖歓喜双身体像。
昔,小田原城の取立城として設けられ,今も,城郭,城濠が残っている。
現在の足柄峠にあったことが古文書より読み解ける。