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御殿山には山全体に桜が植栽されて、4月には山全体が桜色で染まります。この頂上にある御殿山広場からは駿河湾や富士川・伊豆半島が一望できます。
安藤広重の「蒲原夜の雪」が昭和35年国際文通記念切手として世界に紹介されたのを記念にゆかりの地に碑を建てた
今川氏により築かれた山城。永禄12年(1569)駿河に侵攻した武田信玄は、12月4日、駿府攻撃の障害となる蒲原城を攻め、勝頼や甥信豊らの奮戦により、城主である北条幻庵の子新三郎、長順兄弟以下討死にし、落城した。その後、武田氏の支城となったが、徳川家康に攻略されたのち廃城となった。
安政の地震の翌年に建て直された、蒲原町最古の町屋のひとつ。東海道蒲原宿の道沿いにあり、蔀度(しとみど)や箱階段、帳場や看板等、江戸時代の商家の面影を随所に見ることができます。東海道「蒲原宿」の会によるガイドも行なっています。
大正3年、五十嵐準氏が歯科医を開業した時、もともとあった町屋を、外は洋風に内は町屋の形を残したまま改築された独特な建築物。大正・昭和期の建築意匠をじかに見ることができます。東海道蒲原宿内にあり、西に約100mいったところに江戸時代の元商家志田邸もあります。「旧五十嵐邸を考える会」によるガイドも行なっています。
身近な環境について遊びながら学べる新型体験館「どんぶら」、直径14mの巨大ドームシアター「わいわい劇場」さまざまな富士山の姿が楽しめる「フジヤマビューギャラリー」。
給水設備,人造池,東屋,フィールドアスレチック炊飯設備があり、キャンプ,ハイキング,バーベキューなど多目的に利用できる。野田山はその昔、聖徳太子が甲斐の黒駒に騎乗し、調便丸をお伴に連れて富士山を御登臨したとき、三宝の種子をくだし置いたという伝承がある。
慶長9年(1604年)、徳川秀忠が大久保長安に命じて、東海道整備の一環として、1里(約4km)ごとに街道の両側に塚を築き、塚には主に榎木が植えられている。ふたつの塚が当時のまま残っているところは、大変貴重です。
東海道の間宿・岩渕の小休本陣として大名の休憩等に利用された。現存する建物は、安政大地震以降に改築されたもので、庭園にある槙(根回り6m、目通り4.5m、高さ10m)は町指定文化財に指定されています。
荒沢不動尊の奥50mの所にあり,幽玄な霊気を漂わせている。