西山荘
茨城県常陸太田市新宿町590
水戸黄門の名で親しまれている水戸二代藩主徳川光圀が、1691(元禄4)年から73歳で亡くなるまでの10年間を過ごした隠居所である。西山の麓、樹齢300年を超える老樹に囲まれて茅葺屋根の建物が立っている。壁は荒壁、柱は丸太で組まれており、一見庵を思わせる質素な構えは、光圀の庶民性を感じさせる。光圀はこの建物の3畳の書斎で『大日本史』の編纂にあたったといわれる。来客との会見の間である御座の間とお次の間との間には敷居がなく、百姓、町民の区別なく話のできるような配慮がうかがえる。なお、現在の西山荘は一度取り壊されたものを、1819(文政2)年八代藩主斉修が再建したもの。