全日本の観光地へ
散策やレクリエーションの場として沢山の県民が訪れる。昭和54年4月に開園した水心苑は、秋田県では初めての本格的な林泉廻遊式日本庭園。小泉潟公園は、東北で唯一キャッチボールができる公園として有名。四季折々の景観が楽しめる。
常陸水戸から秋田に転封された佐竹義宣が慶長8年(1603)に着工し翌年完成した。天守閣も石垣もない城であるが,佐竹氏が累代在城して明治維新を迎えた。城の建物は明治13年(1880)まで存続したが火災で失われた。◎佐竹義宣(1570-1633)常陸太田生れ。初代久保田藩主。慶長7年常陸54万石から秋田20万石に転封,湊城に入る。父義重は六郷に居る。翌年久保田神明山に築城,新城下町を経営。
和銅年間(708〜14)出羽柵として最上川下流(山形県庄内地方)に築かれ,天平5年(733)高清水の岡に移された。のち陸奥国の多賀城との連絡路が開かれ,雄勝城が築かれたことで,天平宝字5年(761)秋田城と改称した。現在,その跡を中心に高清水公園,秋田県護国神社,秋田城の守護社である古四王神社,空素沼などがある。事前予約必要。
裏日本の典型的な両中門造の民家。江戸時代中期の宝暦年間(1751〜1763)に奈良家9代善政(喜兵衛)によって建てられた。約250年前のもの。
本県唯一の木造三重塔で,権現造り。拝殿内陣の彫刻が精巧。
秋田地方民家の古い時代の代表例である。現在、19代当主が暮らす。見学は要予約。
秋田銀行本店として明治42年完成した洋風建築。新館2階では郷土秋田の歴史・民俗・美術工芸に関する企画展を随時開催。
国内初期のダム付水道施設様式を今に残す。ダムの下流には記念公園を整備。秋田市水道発祥の地である藤倉水源地は、市民への飲料水供給、防火用水の確保を目的に、明治36年に建設に着手し、同40年に給水を開始。平成5年に国の建造物の重要文化財「近代化遺産」に全国初の指定を受けている。
高さ100メートルからの展望がすばらしい。
男潟,女潟の2つの沼を中心とする広大な自然の公園の中で,260種,7万5000株のショウブを植栽している。見頃には色あざやかなショウブが咲き乱れる。