全日本の観光地へ
平安時代の歌人「和泉式部」が亡くなったと伝わる。和泉式部の墓は、円形に一段高く盛土された上に立てられています。式部は娘の小式部内侍を丘上の松原で安産されたので、その松原は「愛寝の松原」と呼ばれています。<br>
春には桜の花が美しく、6月には約20種6000株のショウブが色とりどり咲き乱れ、市民の憩いの場として親しまれています。頂上から厚狭市街地を眼下に見下し、四季を通じて美しい公園です。
松嶽山にある正法寺は、藤原氏全盛期の建立で、開基花山法皇の作と伝えられる十一面観音があります。この他、厚東武貞が寄進した名鐘があり、県の重要文化財に指定されています。<br>
ものぐさで毎日寝てばかりいた若者の話寝太郎伝説が今も伝わる当地には,寝太郎権現のお社と,500年前のものともいわれる「寝太郎稲荷木像」がある。<br>
山陽小野田市内で一番高い山から厚狭地区が一望できます。
形成時期は不明ですが、慶長年間には市の姿はあったといわれています。町並みは堂々として奥行きも深く、旧山陽道筋には発展した市の左右に広がる多くの小路は、かつての姿を彷彿させます。小路の奥にはなまこ壁の蔵も姿を見せており、この市の古さを思わせています。
8合目にある正法寺は藤原氏全盛期の建立で、開基花山法皇の作と伝えられる十一面観音があります。このほか、南北朝時代に厚東武貞が寄進した名鐘があり、県の重要文化財に指定されています。山頂から九州の山々、眼下に関門橋が望見でき、ハイキングやキャンプに好適の地です。
丘陵地に約3ヘクタールにわたって巨大な石塊が数段に重なり大河のごとき様相をみせています。岩石は石英閃緑岩で、岩の間や岩はだなどにトラノオシダ、ヒナラン、ノブドウなどが生育し、周辺にはアカメガシワ、ネズミモチなどが混生しています。
大内義弘死後の弟の盛見は、自分の子豊久丸を水死させ、世子持世を立て後見人となりました。水死体が湛尻の岸に上がったので、有縁の地として妙湛寺を建て祭りました。