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源義経が壇之浦の合戦に際し、戦勝を祈願した神を祀ります。長い石段を登りつめた境内には、珍しい「七卿落ち」の画碑があります。「七卿落ち」とは、文久3年(1863)8月、京都朝廷で起こった政変により、反幕派7人の公卿が京都から追放され長州に下った事件をいいます。境内前の大鳥居は、白石正一郎が寄進したもので、その大きさに当時の豪商の経済力がうかがえます。夜間はライトアップが行われます。参拝自由。<br>
明治維新の先駆者であった青年公卿中山忠光が祭神です。彼は明治天皇の叔父にあたり、幕末の動乱期に急進派の青年公卿として活躍しましたが、元治元年(1864)12月、20歳の時に凶徒に襲われ、暗殺されました。境内には彼のお墓とともに、中国清朝最後の皇帝、宜統帝(薄儀)の弟、愛新覚羅薄傑(あいしんかくらふけつ)、及び彼の妻で忠光のひ孫にあたる浩(ひろ)を祭神とする「愛新覚羅社」が祀られています。参拝自由。
天井を高く吹き放し、総角柱の柱は上下を粽とし、礎盤は角型石を使用するなど、明の黄檗流の建築様式を伝えています。
山門は、二重櫓造りで、安永2年(1773年)長府藩主10代毛利匡芳の命を受けて建立されました。入母屋造り、本瓦葺の屋根は美しい反りを見せ、三門三戸二重門の様式を整えています。
住吉神社境内にあり、桁行三間(6.9m)、梁間一間(4.9m)で、屋根は一重切妻造りで桧皮(ひわだ)葺き。細部の手法は、室町時代末期の特徴をよく表しています。古文書の記録から、1539年(天文8年)に毛利元就が建立したとされています。<br>
長府毛利藩三代の藩主綱元が建立したお寺で、毛利家の菩提寺の一つです。また、付近一帯は日本で最も古い貨幣の和同開珎を造った長門鋳銭所の跡で、出土資料は長府博物館に展示されています。境内には、明治時代の武人である乃木希典像と日本画家である狩野芳崖像があり、和同焼の窯元もあります。紅葉の名所です。見学自由。<br>
幕末期、急進派の公卿として活躍した中山忠光を祭神とする神社。忠光は明治天皇の叔父にあたり、元治元年(1864)、長州藩の俗論党によって田耕村(豊北町)で暗殺され、この地に葬られました。享年20歳。
平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として戦中に祀っていましたが、壇之浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったのに始まるといわれています。境内には慶応2年(1866)小倉戦争に勝った戦利品として、奇兵隊が小倉城から持ち帰った大太鼓が保管されています。
源平壇ノ浦の合戦において、二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇を祀った神社。関門海峡を臨み、白壁に朱塗の水天門があります。境内には、平家一門の墓、小泉八雲の怪談で有名な耳なし芳一の芳一堂や、貴重な資料を展示した宝物殿などもあります。毎年5月3日には、上臈参拝で有名な先帝祭のメイン会場となります。また、夜はライトアップされます。参拝自由。
現在の本殿は応安3年(1370)大内弘世の造進したもので、室町初期の社寺建築として特異な様式をもち、国宝に指定されている。また、拝殿は毛利元就が寄進したもので重要文化財。宝物館には多数の宝物が展示されている。参拝自由。