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主祭神である宇奈根命(うなねのみこと)は水、穀物の神であり、名の由来は元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にあることから、うねる→うなね(宇奈根)となったと言われています。<br><br>また、このことから宇流冨志禰神社という名も『潤うふし水』という語源を元にできたと伝えられています。
名張地方最大の石造十三重塔があります。
梅ヶ丘団地の入口にある杉谷神社は、中世名張群最大の豪族・大江氏の氏神を祀るため創建し、その後、鳥羽天皇の御代に至り、勅により菅原道真公の霊を勧請されたといわれています。
全長142m、5世紀後半に作られたといわれる前方後円墳。周囲には、整った周濠がめぐらされ、円部分は、平坦地と斜面とで構成された段築という造りが特徴的です。全体に33体の石仏が並んでいます。築かれた当時、墳丘の全面が川原石や山石などの葺石(ふきいし)で覆われていたと言われ、登り窯で焼かれた硬質のはにわ片がみられます。墳丘の上まで登っていくと、美旗地区が一望でき、眺めを楽しむことができます。
美旗古墳群の一つで、整美な周濠をみせる前方後円墳。後円部には竪穴式石室の名残があります。うっそうとした林に囲まれています。
出土遺物から7世紀の末から8世紀の前半に建立されたと推定される古代寺院跡で、天武天皇の皇女、大来皇女(おおくのひめみこ)が父の菩提を弔うために建てた昌福寺(しょうふくじ)であるといわれています。夏見廃寺跡は歴史の広場に整備され、夏見廃寺展示館があります。
ほたて貝式の前方後円墳。全長100m、5世紀前半頃。後円部に比べ、小さくて低い前方部が付いた、ほたて貝のようなきれいな形の古墳。家型はにわが出土しました。美旗市民センターにて展示をしております。
名張藤堂家は、藤堂高虎の養子となった高吉(たかよし)に始まり、寛永13年以来名張に屋敷を構えました。現在の建物は、宝永7年の名張大火後に再建されたものです。現存する数少ない上級武家屋敷であり、往時の栄華を偲ばせています。
長谷寺と伊勢神宮を結ぶ信仰の道。名張は宿場の風情を今に残す。新町のやなせ宿(旧細川家)は明治時代の町屋を修復し、まちなか散策の案内所として一般公開しています。
江戸時代から明治初年に、薬商細川家の支店として建設された旧細川邸。初瀬街道(はせかいどう)の宿場町として栄えた賑わいを再現し、人々が集う場となるためリニューアルされました。観光交流施設として、様々なサークルの集会所として、レストラン・カフェとして利用されています。