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江戸時代に活躍した相撲取りの碑。本町出身。現在スポーツの神様として信仰され,毎年秋には少年相撲が奉納されている。
自然石に「芭蕉翁塚」ときざんである1770年に建立施主小浜五芳,百磨連中。
“高原にみやまきりしま美しくむらがり咲きて小鳥とぶなり”昭和24年5月巡幸のみぎりの歌,書は吉田茂,この歌にちなんでミヤマキリシマは長崎県花に指定された。
“地獄天堂一念中,回光一念本来空,空々寂々非他物巌上松青躑躅紅”の碑,書は徳富蘇峰。
“雲仙で阿蘇の煙も見てかへり”巨岩に自筆で刻む
この墓碑は,墓石と台座が同一の岩石で刻まれ,一体となっており,島原半島最大の,かまぼこ型である。
島原半島随一とされる巨岩。4,800tにもなるといわれ、雲仙大爆発の際落下したといわれる。
“今もなほ丹きつつじの山こめて聖き血しほの燃ゆるなりけり”小説「聖火燃ゆ」の取材で,生田蝶介が雲仙を訪ねたのは昭和2年の5月。当時38才気鋭の作家であった彼は,殉教者に一首捧げた。
“雲仙の湯守の宿にひと夜寝て歌などおもふ旅づかれかも”明星派の歌人吉井勇が雲仙を訪れたのは大正9年。歌碑は湯元ホテルの入口に建つ。
ホトトギス俳壇の主催者である高浜虚子が、ツツジの最盛期(5月)に雲仙へ訪れた時に詠んだ歌「ゴルフ場に下り立てばつつじ叢高く」。