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大串貝塚

縄文時代前期(約5000年以上前)に形成されたという大串貝塚(国指定史跡)は、奈良時代に編さんされた「常陸国風土記」に記載があり、文献に記録された貝塚としては世界で最も古く、これにまつわる巨人伝説とともに有名。現在、貝塚の周辺は大串貝塚ふれあい公園として整備され、高さ15mの巨人像「ダイダラボウ」、貝塚の様子を見ることができる「貝層断面観覧施設」や縄文人の暮らしを紹介した「縄文くらしの四季館」などの施設がある。

水戸城址

水戸徳川氏の居城。常陸の大掾平国香の子孫資幹が居館を建てたのが始まり。天正18年(1590)、江戸通房のいた水戸城を佐竹義宣が攻略、改修の手を入れた。関ケ原の戦後、家康の子頼房が入って水戸藩を立てた。現在は旧本丸跡の県立水戸一高敷地内に移築復元された城門と、枡形の石垣が残るばかりで、城跡には県庁や学校などが立ち並んでいる。◎佐竹義宣(1570-1633)佐竹氏二〇代当主。秀吉により領国が安堵され水戸城に移る。関ケ原では西軍に加わったため出羽に移封。秋田藩の基礎を築く。◎徳川頼房(1603-61)伏見城に生れる。家康十一男。水戸徳川家の祖。定府制を確立、水戸城及び城下町の建設など藩の基礎を築く。◎徳川光圀(1628-1700)水戸城下生れ、水戸二代藩主。多くの事蹟の中でも『大日本史』の編纂はのちの歴史にも影響が大きい。名君の誉れ高く、その言動が『水戸黄門漫遊記』を生む。◎徳川斉昭(1800-60)水戸第九代藩主。天保の藩政改革を推進。幕政においては尊攘派の筆頭となり、井伊直弼と対立。

愛宕山古墳

全長136mの大前方後円墳で県内でも有数の規模をもつ。

旧弘道館

開館時間:2月20日〜9月30日9:00〜17:00 開館時間:10月1日〜2月19日9:00〜16:30 休館:12月29日〜12月31日

弘道館は徳川斉昭が、より実践的で有為な人材の育成を願って三の丸に創立した藩校で、1841年(天保12年)に仮開館した。現在の敷地は34,167平方メートルと当時の5分の1となり、施設も1868年(明治元年)の兵火と、1945年(昭和20年)の戦災によって多くのものが失われたが、正門と正庁、至善堂が今も昔の姿を留めている。至善堂は藩主の休息所で、明治元年最後の将軍慶喜(1837〜1913)が退隠した場所でもある。八卦堂には、「弘道館記の碑」を納めている。この弘道館記は尊王攘夷思想の展開に大きな影響をあたえた。種梅記の碑は、斉昭が弘道館や偕楽園、土民の家に梅を植えた理由を記したもの。大きなクスノキの下にある要石の歌碑は、斉昭の自筆で歌が刻まれている。※2012年8月現在、震災の影響により建物内への立ち入り禁止。庭部分のみ無料公開。

茨城県庁展望ロビー

営業:8:30〜20:00平日 営業:10:00〜20:00土日祝 休業:年末

25階にある展望ロビーで100メートルの位置から茨城の東西南北が眺望でき、パネルと映像で茨城の紹介をしています。

偕楽園のツツジ

約380株位ある(霧島つつじ)樹令250年ものもある

お堀の桜(旧県庁)

ヤマザクラ,ソメイヨシノ

弘道館公園の梅

60種約800本の梅。毎年偕楽園、弘道館公園を会場に、水戸の早春の風物詩「水戸の梅まつり」が開催される。

偕楽園の梅

日本三名園の一つである偕楽園は、梅の公園としてその名は全国に知られている。現在約100品種、3000本の梅が植えられており、2月下旬ごろから紅白の花を楽しませてくれる。また開花期の梅まつりは、全国からの観光客でにぎわう。

保和苑のアジサイ

保和苑では,西洋あじさい,がくあじさい等約60種,約6,000株が咲き競います。いずれもブルー系・白色系が多く,中にはピンク系統のあじさいも混在しています。保和苑は,徳川光圀公(黄門さま)により,「保和園」と名づけられ,その後,現在の名称(保和苑)になりました。

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