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山本公園

樹齢100年を超える杉並木を抜けると、山本不動尊と山本公園が現れます。公園を中心とした南北約5kmの渓谷は「奥久慈県立自然公園」に指定され、春に「しゃくなげ」、「山桜」、「岩つつじ」などが咲き、「キャンプ」、「もみじ狩り」、「松茸狩り」など、年間を通して豊かな自然を満喫することができます。公園内には、久慈川支流の宮川が流れ、奇岩を洗う清流にはヤマメが泳ぎます。(渓流沿いに、20分位の遊歩道があります。)

棚倉城跡(亀ヶ城公園)

歴史元和元年(1622年)、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年、その跡地に棚倉城の築城に着手し、寛永4年(1627年)に完成しました。慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」とも言われています。土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六元帥終焉の碑などがあります。また、西側外堀跡には約160mにわたり石垣が残っています。城跡にある歴史資料館(中央公民館内)には、棚倉町の古代から近代までの資料を展示しています。桜春にはお濠の内外に植えられた約500本の桜が咲きほころびます。(例年、4月中旬頃が開花時期です。)棚倉城桜まつり4月中旬、桜の開花にあわせ、「十万石棚倉城まつり」が開催されます。武者行列が町内を巡り、城跡広場では各種イベントが行われます。紅葉秋には土塁のもみじがお濠に映え、美しい景色を堪能できます。また、追手門の跡付近の樹齢600余年の大ケヤキは、棚倉のシンボルとして歴史を受け継いでいます。

赤館公園

歴史赤館は、棚倉北部標高345mの丘陵地にあり、近世棚倉城が築城されるまでは丘陵に館が築かれこの地を治めてきました。丘陵地から眺める風景は、城下町棚倉の町並みが一望でき、また、公園の南側山麓には、「紫衣事件」で棚倉に配流された京都大徳寺の住職玉室和尚の草庵跡の碑があります。中世の赤館に関する資料は極めて少なく、築城時期など判然としない点が多く、唯一建武年中(1334〜1338年)に赤館伊賀次郎が赤館城主であった記録から、赤館はこの頃すでに築かれていたことがうかがえます。桜春には300本の桜が咲き、お花見を楽しめます。(例年、4月中旬頃が開花時期です。)赤館公園公園散策路、野外ステージ、花壇などがあり、町並みが一望できます。また、季節ごとに多種の花を楽しめます。

山本不動尊

樹齢100年を超える杉並木を抜け、130段の石段を登りつめると巨岩の洞窟に御本尊が安置された霊場が出現します。大同2年(807年)、弘法大師が東北行脚の途中に護摩壇を築き、八溝山系に住む悪鬼を調伏祈願したのが山本不動の始まりで、以後、付近の住民は安堵な暮らしができるようになったと言われています。公園を中心とした南北約5kmの渓谷は「奥久慈県立自然公園」に指定され、春に「しゃくなげ」「山桜」「岩つつじ」などが咲き、「キャンプ」「もみじ狩り」「松茸狩り」など、年間を通して豊かな自然を満喫できます。山本不動尊内には、久慈川支流の宮川渓流があり、清流が流れます。祭り元朝大護摩祈祷(1月1日)、節分会(2月3日)、春の例大祭・秋の例大祭など、山本不動健康保養の森(山本公園)きのこまつり紅葉10月下旬から11月にかけて、山本不動尊・山本公園周辺は、見事な紅葉に包まれます。

八槻都々古別神社

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古和氣神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“中宮”にあたる。縁起によれば、日本武尊が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として示現した三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれている。祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祀る。農耕神としての性格が古く、のちに武神が加わったものと考えられる。その年の新籾を藁苞に入れて(ツトッコという)奉納し、その折他のツトッコをいただいて帰る風習(霜月の大祭)や桝廻しの神事、あるいは御田植の神事(旧正月6日)等の存在は、農耕神の性格を物語る。社宝には銅鉢(国重文)、木面十一面観音立像(国重文)など数多くの貴重な文化財が遺されている。

長久寺

宝永4年(1707)棚倉城主太田備中守資晴が本堂を建立し、山門は棚倉城二の丸南門を寄進移築しました。この山門は現存する棚倉城唯一の建造物であり、「ほのぼのとあけゆく山に音すなり麓の寺のあかつきの鐘」と田山花袋の「棚倉百勝詠歌集」にも歌われているお寺です。

宇迦神社

長い石段を登りつめると、棚倉の鎮守として町民に親しまれている宇迦神社があります。現在の社殿は元禄14年(1701)棚倉城主内藤弌信公の再建によるものです。秋祭りには宇迦神社より神興が繰り出され、大変な盛り上がりをみせます。大屋台(山車)が繰り出し、囃子太鼓の公演が随所で行われます。迫力ある大曳き合い(屋台同士のぶつかり合い、力比べ)は、圧巻です。またお正月には元朝参りの人々で大いに賑わいます。

蓮家寺

慶長8年(1603)蓮池主水、糟家弥兵衛が阿弥陀寺を建立し、両人の姓をとって蓮家寺と名付けられました。棚倉城主内藤氏による手厚い保護もあり、慶安元年(1648)には三代将軍家光より御朱印状を拝受しております。国重要美術品の銅楼や町指定文化財の山門等数多くの文化財が遺されています。

馬場都都古和氣神社

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都都古和氣神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上の宮”にあたる。かつて「東夷」を鎮定した日本武尊が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祀り、のちに大同二年(807)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられる。寛永元年(1624)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮した。祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祀る。境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳である。また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にある。社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)など数多くの貴重な文化財が保管されている。

流廃寺跡

平成15年流廃寺跡金銀象嵌鉄剣が出土した。

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