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曲舞の幸若家より分家した敦賀幸若の屋敷跡に残る幸若庭園は、格式を重んじた武家屋敷の庭園として築庭された、回遊式築山林泉庭園です。池には蓬莱島を設けて石橋を架け、亀山を配し、築山のふもとに沿って小道を設けるなどして、雄大閑雅な昔の面影をとどめています。市の文化財に指定されています。
公開:9:00〜17:00 休業:年中無休
江戸時代中期の作とされる池泉式庭園です。浄土宗の古刹らしく、三尊石・三心の滝・六字の名号橋・心字池などを配し、全体として極楽浄土が表現されています。寺院背後の山塊を活かし、高低差と奥行のある景観が楽しめるのが特徴です。
休業:年中無休
近世敦賀の有力農民であった柴田権右衛門の旧宅とその庭園です。敦賀一の名峰野坂山を借景とする美しい池泉庭園と武家調の屋敷構えや書院が特徴で、往時には小浜藩主休憩所ともなっていました。昭和7年に庭園と書院が、平成19年には屋敷地全体が国の名勝に指定されているほか、市指定史跡ともなっており、芸術的・歴史的価値を高く評価された貴重な文化財です。
拝観:9:00〜17:00 休業:年中無休
浄土宗の古刹。境内の主要建物が重要文化財に指定されている他、国指定名勝の書院庭園の紅葉の美しさが特に有名です。
仲哀天皇ほか六座を祀る北陸道の総鎮守です。佐渡ヶ島から漂着したムロで建立した鳥居は、木造としては「広島・厳島神社」「奈良・春日大社」と並ぶ「日本三大木造大鳥居」のひとつで、国の重要文化財に指定されています。
南北朝時代には、後醍醐天皇の二人の皇子である尊良親王と恒良親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場で、両親王が祀られています。恋の宮として恋愛祈願に多くの人達が訪れ、春には絶好の花見どころとしても知られています。
ご祭神は神功皇后で、氣比神宮の仲哀天皇のお后。神功皇后が、この地で腹帯を着けた後、応神天皇を安産されたと言われ、安産のご利益で知られています。国宝の「朝鮮鐘」を所蔵しているほか、境内の植栽も美しく、春には見事なしだれ桜が咲き誇り、秋にはイチョウやカエデの紅葉で鮮やかに彩られます。
元治元年(1869)尊皇攘夷を掲げ京都を目指した武田耕雲率いる水戸天狗党が、本陣を置いた場所です。ここで討伐軍の先峰であった加賀藩と会談が行われました。
疋田南西部の、集落後背の丘陵地(標高約100m)に築かれた平山城です。文明年間(1469〜1487)に朝倉家臣・疋壇対馬守久保が築城したといわれています。疋田は、近江から越前に入る海津越、塩津越、柳ヶ瀬越の3街道が集まる地点で、古くから交通の要衝でした。この点を考えて、当時の支配者・朝倉氏が越前南端のおさえとして、また領国の前衛拠点としてここに部将を配置し、城を築かせたものと考えられています。
延元元年(1336)に尊良、恒良量親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。戦いは厳しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。戦国時代には、織田信長の越前朝倉攻めの折、窮地を救った豊臣秀吉の殿(しんがり)の地として知られ、国の史跡に指定されています。